はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第31章 教育勅語を考える

教育勅語を読んでもどうして軍国主義というものに繋がるのかわかりません。昔は外国語にも翻訳されて世界各国からも「素晴らしい」と賞賛されたとも言われています。何か恐ろしい思想のように扱われるのは、自分たち以外を敵視しているからでしょう。

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1 教育勅語について

 1) 教育勅語の起草

明治15年に福沢諭吉は反儒教主義の徳育論として『徳育如何』を刊行して新しい時代には新しい道徳が必要であることを説き、加藤弘之は『徳育方法論』(二十年刊)において宗教主義による徳育の方策を示し、また能勢栄は『徳育鎮定論』(二十三年刊)を発表して倫理学を基本として徳育に方向を与えるべきことを主張しました。

一方これらに対して内藤耻叟は『国体発揮』において教化の根本は皇室において定めるべきであるという思想を公にし、さらに元田永孚は『国教論』において祖訓によって教学を闡(せん)明すべきことを主張して教学聖旨以来の思想を表明しました。

明治29年代の初めに確立されたわが国独自の近代国家体制は、政治の面では大日本帝国憲法によってその基礎が置かれました。他方、国民道徳の面からこの体制の支柱として位置づけられたのが「教育に関する勅語」(教育勅語)です。

教育勅語は、総理大臣山県有朋と芳川文相の責任のもとに起草が進められました。日本軍隊の創設者であり、軍人勅諭の発案者でもあるといわれる山県有朋が内閣総理大臣として参画しました。

明治23年10月30日、明治天皇は山県総理大臣と芳川文相を宮中に召して教育に関する勅語を下賜されました。これにより国民道徳および国民教育の根本理念が明示され、それまでの徳育論争に一つの明確な方向が与えられたのです。

教育勅語が発布されるとやがて国民道徳および国民教育の基本とされ、国家の精神的支柱として重大な役割を果たすこととなりました。勅語の謄本が各学校に下賜され、学校では奉読式を行ないました。

教育勅語が内閣において議せられている間に、芳川文相はどのようにしてこの勅諭を奉体し聖旨を全国に公布すべきかについて方策を練り、政府は教育勅語発布以前から勅語奉体の方法等を慎重に考慮し、その精神の徹底について企画していました。

明治24年6月に制定した「小学校祝日大祭日儀式規程」によれば、紀元節・天長節などの祝日・大祭日には儀式を行ない、その際には「教育二関スル勅語」を奉読し、また勅語に基づいて訓示をなすべきことを定めました。

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 2) 教育勅語発布後の教育

教育勅語が発布されると直ちに解説書の編纂を企画し、多くの学者・有識者に回覧して意見を求めました。その後解説は、師範学校・中学校等の修身教科書として使用されました。

教育勅語は、小学校および師範学校の教育に特に大きな影響を与えましたが、なかでも修身教育において顕著でした。特に「修身」について、授けるべき徳目として、孝悌(てい)、友愛、仁慈、信実、礼敬、義勇、恭倹等をあげ、特に「尊王愛国ノ志気」の涵(かん)養を求めています。

歴史(日本歴史)についても、「本邦国体ノ大要」を授けて「国民タルノ志操」を養うことを要旨とし、修身はそれまで毎週一時間半であったものが、尋常小学校では三時間、高等小学校では二時間に増加し、この点からも修身教育を特に重視していることが知られます。

当時の小学校修身教科書を見ると、毎学年(または毎巻)勅語に示された徳目を繰り返す編集形式がとられ、教育勅語発布直後の修身教科書の特色です。このほか勅語の全文を各巻の巻頭にかかげているものも多く、高等小学校では一巻または一部を勅語の解説にあてていました。

師範学校でも毎週教授時数も1時間から2時間に増加し、「教育二関スル勅語ノ旨趣二基キテ人倫道徳ノ要領ヲ授ク」と定めていました。修身は「教育二関スル勅語ノ旨趣二基キ徒二理論二馳セス専ラ躬行実践ヲ目的」とするものであると説明しています。

師範学校は国民一般の教育にたずさわる小学校教員を養成する所であり、そのため政府は教育勅語を徹底させる方策をとったものと見ることができます。

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 3) 必要とした教育勅語

教育勅語は1890 年(明治23年)10 月に発布された「忠君愛国主義と儒教的道徳が学校教育の基本であると示した明治天皇の勅語」のことです。「勅語」とは天皇のおことばのことで、「勅」という字はもともと「いましめる」「ととのえる」といった意味を持ちます。

1890年10月30日に明治天皇の勅語として発布されたもので、1948年6月19日に廃止されるまでの約60年間、近代日本の道徳教育における最高規範とされていました。正式には「教育ニ関スル勅語」といいます。

全文315文字の短い文章ながら、天皇を国父とする家族国家観による愛国主義と、儒教的道徳を基本とする教育の根本が込められています。学校教育を通じて国民に広く浸透し、天皇制の支柱となっていきました。

井上毅は第2次伊藤内閣において文部大臣を務め、学制改革を目標とし、小学校就学の増加および実業教育の盛り込みを政策に掲げ改善に全力を尽くしました。教育勅語について、賞賛するわけでも功罪を述べるわけでもなく、公平な立場で事実を述べていました。

欧米と比較して日本の教育で有用な人材が育たない不満があり、資本主義の発展に伴う実業多様化に応じ、小学から大学まで生徒の自立心を育み、かつ実業に興味を示し、列強進出を背景に国際情勢の緊張を念頭に入れた愛国心の浸透、海外でも通用する人材を育成出来るよう誘導する教育の実現を目指したのです。

特に戦時中は天皇の御真影とあわせて神聖視され、学生は暗唱することが求められたそうです。1938年に「国家総動員法」が制定されると、本来の趣旨や目的から外れ、軍国主義を正当化する教典として利用されるようになりました。

太平洋戦争が終結すると、GHQは教育勅語を国家神道の「聖書」とみなして排除しようとします。その後は「教育基本法」が定められたこと、主権在民を基礎とする「日本国憲法」が施行されたことなどから衆参両院で失効が確認され、1948年6月19日に廃止となりました。

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2 教育勅語失効の結果

 1) 国民を無視した論争

国有地取引に不正があったのではないかということで、その土地を購入した学校法人森友学園が問題になって、あきれ果てるほど国会で無駄な審議がなされてきましたが、この「教育勅語」の話題も学園が話題になった最初の頃のニュースに出てきました。

どのニュースも教育勅語をおどろおどろしいもののように伝えます。大きな戦争を経てきた時代と重なり、現代の民主政治の考え方からは問題があると評されることが多いようで、左翼の過激派から戦争につながると攻撃対象になりました。

森友学園問題は、大阪府豊中市の零細な幼稚園経営者と地方の役所の間で生じた、交渉や駆け引きにまつわる不明瞭処理の問題にすぎません。半年にも及ぶ「安倍叩き」の間、安倍総理による不正、権利濫用の物証はただ一つも発見されませんでした。

8月29日の早朝に、日本の上空を北朝鮮のミサイルが通過して太平洋上に着水しました。アメリカの三大ネットワークやヨーロッパのニュース番組は北朝鮮問題を速報で伝えたが、日本の国会議員は国民の安全を考えずに「もり・かけ」劇場に終始していました。

本来ならば、違法性を強く示唆する証拠が出て、それに基づき違法性の有無の調査や追及がなされ、その線上に安倍総理や明恵夫人が浮かび上がれば、その時に初めて安倍総理りの責任が問われるというのが常道です。

ところが、違法性の追求は国会審議で終わっていたのに、安倍総理や明恵夫人の関与をにおわせ続けてマスコミが喧騒を起こし、安倍政権の足元に火をつけ続けました。国際常識を知らない共産党議員は、明恵夫人は公人か私人かと疑問を呈しました。

この共産党という団体に対して政府は、2021年年6月11日の閣議で「破壊活動防止法(破防法)に基づく調査対象団体」で「暴力主義的破壊活動を行った疑いがあり(中略)暴力革命の方針に変更はない」とする答弁書を決定しました。

公安調査庁の横尾洋一次長は、同庁が情報収集(調査)を行っている対象として、オウム真理教や過激派、右翼などと並んで「共産党」を挙げました。共産党の目標はあくまで革命の実現ですから、公安調査庁は同法に基づき対象団体の調査を続けています。

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 2) マスコミ報道はウソ

政府の考え方を裏付けるのは、1951年10月に開かれた共産党第5回全国協議会で採択された「51年綱領」に、「日本の解放と民主的変革を、平和な手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」と明記され、軍事方針では「我々は武装の準備と行動を開始しなければならない」と書かれ、以後修正されていないからです。

実際に、この方針に基づいて白鳥事件や三鷹事件など、共産党の破壊工作とみられる事件が相次ぎました。日本で暴力革命が成功する可能性は歴史上一度もありませんが、共産党は「プロレタリア独裁」の戦術や「前衛党」の組織原則を捨てていません。

共産党は「暴力革命の党」と政府が認識を改めたように、志位委員長の脳内にはスターリンから受け継いだ無謬神話が生きています。日本共産党は暴力主義的な団体で暴力革命を目指しているという事で、現在においても公安の監視対象団体になるのは当然です。

無謬神話とは、間違っていたことを認めたら自分たちに対する信頼が失墜する、叩かれて新しい方針を打ち出しにくくなる。だったら自分たちは間違っていなかった、絶対に間違わないということにしておこう、といった行動をとることです。

民進党もいい加減で、森友学園問題で「公表されたメールにわが党の辻本議員に言及した箇所がありますが、そこで記されている内容は事実に反する虚偽のものです」とコメントしました。実際にはこの日、辻本議員は視察団の一人として幼稚園の敷地に入っており本人も認めていたのです。

野党もこのような状態ですから、マスコミもさらに無責任です。ニューヨーク州の司法試験に挑戦をした小室圭さんは3度めの挑戦で合格し21日に本人へ合格が通知されました。合格率23%という難関だったのです。

週刊文春は合格発表の直前の記事で「小室さん不合格でも、安泰の証拠写真。そして佳子様が動いた」と報道。ライバル誌の週刊新潮は「小室さん不合格濃厚で、秋篠宮を襲う『お誕生日の辟易』。眞子さんは『見返したいから』受験継続」という記事でした。


 両誌とも「不合格」を確信し、試験結果の発表に合わせて掲載したのでしょう。事実とは異なり憶測で記事を書いているので、マスコミの報道は信用できないという証明になりました。言論と報道の自由を振り回して、国民に嘘を信じ込ませようとするのです。

日本雑誌協会には「雑誌編集倫理綱領」があり、「言論、報道の自由」「人権と名誉の尊重」「文化的使命のための高い品質」などを掲げています。自由には責任が伴い「人権と名誉」を尊重するという責任があることを、雑誌編集側自身が認めているのですが。

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 3) 無知が招く論理

戦前生まれの高齢者を除いて教育勅語を暗唱できた人は少なく、実際に読んだことがある人も少ないのが現状です。何が書いてあるのか全く知らないという人の方が多く、若い方々は全文を読んだことはないでしょう。

教育勅語は、明治期の擬古文体で書かれているのでスラスラとは読めません。古文・漢文の読み下し知識などが必要で、旧漢字やカタカナ表記というのも時代を感じさせます。教育勅語が交付された当時国民は暗唱し、生活のよりどころとなっていました。

GHQは教育勅語を国家神道の「聖書」とみなして排除しようとし、従属した当時の政府は「教育基本法」なるものを制定しました。この教育基本法を暗唱した国民も、読んでみようと思った人もおそらくいないでしょう。歴史から消された日本人の美徳

国会議員の多くは戦後の教育を受け、教育勅語を避けてきた人たちです。教育勅語の内容を知っていたら、国会の時間と税金の無駄遣いのような論争はしないでしょう。マスコミも自由には責任が伴うことを自覚し、人権と名誉を無視することはしなかったでしょう。

「道徳教育」というと、新渡戸稲造の『武士道』の序文に、ベルギーの法学者ラヴレーとの散策中の会話で宗教の話題になった時、新渡戸が日本には宗教教育は無いと話したことに対して、ラヴレーはこう繰り返したそうです。

「宗教が無いとは。いったいあなたがたはどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」。この問いへの答えを探すことが新渡戸の『武士道』という著作に繋がることになったそうです。この問いは現代にも通じる議論の欠落したテーマでしょう。

昔は教育勅語が外国語にも翻訳され、世界各国からも「素晴らしい」と賞賛されたとも言われています。世界各国が称賛した教育勅語のどこが問題なのでしょう。

「国家総動員法」が制定されると、教育勅語が軍国主義を正当化する教典として利用されたのは事実です。しかし、それは軍国主義がまかり通った過去のことです。現代でも、教育勅語が軍国主義に繋がるのでしょうか。

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 4) 捻じ曲げた考え方

教育勅語の内容や目的を見ると現代にも通ずる部分がありますが、疑問を感じているのは「12の徳目」の最後「義勇」と思われます。原文には「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と記されています。

問題があるとする人の多くは「国が危うい時は天皇の国のために戦いましょう」と訳して、戦争を想起させるまたは軍国主義の復活に繋がるとして反対しています。当時は天皇が主権を握っていた時代ですから、当然と言えば当然の表現でしょう。

また「扶翼スヘシ」を「戦う」とすることについても、戦時中は「国家総動員法」を正当化する根拠としていましたが、「扶翼」のもつ本来の意味は「助ける、手伝う」ということです。この問題は、当時の戦争(政治)に利用されたというだけでしょう。

現代で主権を握っているのは国民なので、天皇の部分を国民に置き換えればわかりやすいと思います。この徳目を現代風に解釈すると「非常事態には勇気を出して奮って国民を助けましょう」となります。

たとえば災害などが起きた際に、多くのボランティアが駆けつけることや被災者を助けることなどは、まさにこの条項を体現しているといえるでしょう。日本がウクライナのようになったときにもこの解釈で適用できます。

教育勅語の最大の問題点は、このように解釈しだいで意味が大きく変わってしまうことだといわれています。しかし、同じことは多々あります。そうなることを想定したのか、教育勅語の作成にあたって起草者の井上毅が掲げた変えてはならない7つの条件でした。

天皇と政治を切り離すこと、信仰の自由を妨げないこと、哲学上の理論に触れないこと、政治的な思惑を排除すること、不偏不党の教育方針を示すこと、消極的な言葉を使わないこと、宗派の争いを助長しないこと。

教育勅語は、君主の言葉でありながら国民に押し付けるものではなく、宗教や政治に関わらず誰でも受け入れられる内容となっています。西洋文明の急速な流入と急激な近代化のなかで、日本人らしさや伝統的価値感を守ろうとして教育勅語は作られたのです。

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3 教育勅語の吟味

 1) 忘れ去られた規範

戦前生まれの高齢者を除いて教育勅語を暗唱できた人は少なく、実際に読んだことがある人は少ないのが現状です。何が書いてあるのか全く知らないという人の方が多く、若い方々は全文を読んだことはないでしょう。日本人はとても素敵だった

教育勅語は、明治期の擬古文体で書かれているのでスラスラとは読めません。古文・漢文の読み下し知識などが必要で、旧漢字やカタカナ表記というのも時代を感じさせます。しかし、実は暗唱には向いていると言えるのです。

教育勅語にはごく常識的なことしか書かれていません。もちろん現代社会において足りないところやじっくり意味を噛み砕かないといけないこともあると思いますが、絶対に触れてはいけないものだと言われるようなものではありません。

教育勅語には人としてあるべき姿が示され、日本人は誠実であると世界の評価を受ける源となりました。では、教育勅語の原文と読み下し文、インターネットでみつけた現代語文と、明治神宮のホームページ掲載の現代語訳を紹介しましょう。

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 ①「教育ニ関スル勅語」

朕 惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ?育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ?器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ?ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト?ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
 明治二十三年十月三十日 御名御璽(ウィキペディア「教育ニ関スル勅語」より転載)

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②「教育ニ関スル勅語」の読み下し文

朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
 我ガ臣民(しんみん)、克(よ)ク忠(チュウ)ニ克(よ)ク孝ニ、億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ、世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ、此(こ)レ我ガ國体ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)、亦(また)実ニ此(ここ)ニ存ス。
 爾(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ
 是(かく)ノ如(ごと)キハ、独(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン
 斯(こ)ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ
 朕、爾臣民ト倶(トモ)ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ
 明治二十三年十月三十日 御名御璽(ぎょめいぎょじ)

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③現代語訳1「教育に関するお言葉」

朕が思うに、歴代の天皇が国を治められたのは、広く遠くまで道徳が行き渡り、道徳が深く厚かったからなのです。国民が忠義に厚く、よく孝行し、億兆の心を一つにして、その世代世代において美徳をなしてきたことが、我が国の国のあり方の本質であり優れた点であり、教育の根本であり核心部分でもあるのです。
  あなたたち国民はお父さんやお母さんに親孝行し、兄弟は仲良くし、夫婦は仲睦まじく、友人とは信じあい、他人にはうやうやしく、自分には慎み深く振る舞い、周囲の人に優しくして、学問をおさめ、仕事の技術を習うことで、智能を広く高め、徳と才能を磨いて、公共の利益を広め、世の務めを果たして、常に国の憲法を重視し、国の法律を尊びなさい。ひとたび緊急な事態が起これば、勇気を持って公に奉仕し、永遠に続く皇統の運命を助けなさい。このようなことは、ただ朕にとっての忠義心に溢れた良い国民であるのみならず、先祖から教えられた風習を明らかにしたものなのです。
 この道徳は実に我が歴代の天皇が残した教訓であり、その子孫と国民がともに守っていくべきものであり、古くからあるが現代でも通じるもので間違いはなく、また、国内国外であっても道理に外れることのないものです。朕はあなたたち臣民とともに、よくよく心に留め、皆、その道徳を一つにしていることを切に願うものです。
 明治二十三年十月三十日 御名御璽

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④現代語訳2「教育に関するお言葉」

私の思い起こすことは、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。
 明治二十三年十月三十日 (天皇陛下の署名と印)

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⑤現代語訳3「教育に関するお言葉」(明治神宮のホームページより)

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
 明治二十三年十月三十日 御名御璽

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4 教育勅語の精神

 1) 12の徳目とは

軍国主義の正当化に利用された歴史などから、マイナスのイメージがある教育勅語ですが具体的にどのようなことが書いてあるのかを知っている方は少ないでしょう。ここでは教育勅語の内容である「12の徳目」について紹介します。

① 【孝行】…………親孝行をしましょう。
 ② 【友愛】…………兄弟、姉妹は仲良くしましょう。
 ③ 【夫婦の和】……夫婦は仲良くしましょう。
 ④ 【朋友の信】……友達は互いに信じあって付き合いましょう。
 ⑤ 【謙遜】…………言動を慎みましょう。
 ⑥ 【博愛】…………広く、すべての人に愛の手を差し伸べましょう。
 ⑦ 【修学習業】……勉学に励み、手に職をつけましょう。
 ⑧ 【智能啓発】……智徳を養い、自分の才能を伸ばすことに努めましょう。
 ⑨ 【徳器成就】……人格の向上に努めましょう。
 ⑩ 【公益世務】……世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう。
 ⑪ 【遵法】…………法律や規則を守り、社会の秩序を守りましょう。
 ⑫ 【義勇】…………正しい勇気をもって、国のために真心を尽くしましょう。

「12の徳目」は儒教的な道徳にもとづいて、古くから日本に根付いていた考え方です。現代に生きる私たちから見ても、違和感のない内容ではないでしょうか。

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 2) 逆・教育勅語

教育勅語にはごく常識的なことしか書かれていません。もちろん現代社会において足りないところやじっくり意味を噛み砕かないといけないこともあると思いますが、絶対に触れてはいけないものだと言われるようなものではないのです。

この教育勅語の内容を逆にしてみたら、素晴らしい思想になるのでしょうか。憲政史家の倉山満さんが、教育勅語を理解する上で実際にそれを『逆・教育勅語』としてやってみせてくれています。

① 親に孝養をつくしてはいけません。家庭内暴力をどんどんしましょう。

② 兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません。兄弟姉妹は他人の始まりです。

③ 夫婦は仲良くしてはいけません。じゃんじゃん浮気しましょう。

④ 友だちを信じて付き合ってはいけません。人を見たら泥棒と思いましょう。

⑤ 自分の言動を慎しんではいけません。嘘でも何でも言った者勝ちです。

⑥ 広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません。わが身が第一です。

⑦ 職業を身につけてはいけません。いざとなれば生活保護があります。

⑧ 知識を養い才能を伸ばしてはいけません。大事なのはゆとりです。

⑨ 人格の向上につとめてはいけません。何をしても「個性」と言えば許されます。

⑩ 社会のためになる仕事に励んではいけません。自分さえ良ければ良いのです。

⑪ 法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません。自由気ままが一番です。

⑫ 勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません。国家は打倒するものです。

驚くほど殺伐とした道徳律になり、逆に教育勅語の意味がはっきり理解できるようになります。教育勅語と比較すればどちらがまともな道徳観かは明らかです。このように、教育勅語の表現を逆にするとやってはいけないことが見えてくるのです。

学校教育で教育勅語に触れずに、論語などの暗記はなぜいいのでしょうか。論語の精神を字義通りに受け止めたのが中国で、論語も読み方次第では人を上から支配する思想でもあります。中国政府の報道官の高圧的な言動を見るとそれを如実に反映しています。

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 2) 教育勅語の廃止理由

太平洋戦争が開戦する前のアメリカは、日本との戦いは数か月程度で終わると考えていました。しかし実際には3年8か月という長期戦となります。戦後に日本を統治したGHQの最大の使命は「日本が再びアメリカの脅威にならないようにすること」でした。

1854年にペリーが来航すると、日本は欧米諸国との国力の差を痛感します。とにかく西洋のものを真似し、取り入れようとする人が続出しました。なかには英語を公用語にしようと言い出す人もいたそうです。

この状態に危機感を抱いたのが明治天皇でした。闇雲に西洋化する風潮を押しとどめ、日本に古くから根付いている考え方を教育の基礎とするよう、教育勅語が必要と考えたのです。

日本は1868年の明治維新で封建制を転換し、急速に近代化を遂げていました。1905年には「日露戦争」で大国ロシアをも撃破し、さらに第一次世界大戦を経て世界の5大国に名を連ねるほどの存在になっていました。

技術面では西洋の進んだ知識を取り入れつつ、精神面では日本人であることを失わない、いわば「和魂洋才」を目指しました。

GHQは、日本人の国民性の高さこそ日本の強さの秘訣で、その根源にあるのが教育勅語とそれにもとづいた教育であると結論付けました。たしかに、これこそ教育勅語が発布された目的でもあったのです。

GHQは、再び日本がアメリカと戦わないように弱体化させる方向へ向けさせました。日本軍は残虐非道であったとか、アジアを植民地にして諸民族に被害を与えたとか、沖縄は本土の捨石にされたとか嘘ばかりを信じ込ませようとしました。

それに助力したのが、NHKや朝日新聞をはじめとするマスコミです。戦勝国にしっぽを振り、真偽の確認もせずに憶測を報道しました。大東亜戦争を太平洋戦争として戦争目的をあいまいにし、戦勝国の残虐非道さや戦争法規違反を隠し通しました。

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 4) 戦争と向き合うべき

日本では大東亜戦争について語ることができない風潮が出来上がりました。戦場で現地の人々はどのように日本軍を迎え、激戦地で兵士がどれほど苦労されたか、父や兄のご苦労をしのぶことも慰霊することも不可能な状態です。

軍人はなんのために戦い命を失ったのでしょう。お国のためにと命を落とした方々を慰霊するのは世界の常識ですが、日本ではマスコミが騒ぎ左翼の人々が反対するので公式に慰霊ができません。こんな礼儀知らずになったのは教育勅語廃止が原因と言えましょう。

教育勅語にはごく常識的なことしか書かれていません。もちろん現代社会において足りないところや、じっくり意味を噛み砕くべきところもあると思いますが、絶対に触れてはいけないものとされるようなものではありません。

問題にされる「扶翼スヘシ」を「戦う」と解釈したことですが、戦時中は「国家総動員法」を正当化する根拠としたのです。「扶翼」のもつ本来の意味は「助ける、手伝う」ということです。問題というのは、当時の戦争(政治)に利用されたというだけです。

「正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう」という意味が、戦争になったら国のために命を捨てる覚悟を持てという方向性で捉えられたからです。実際そういう危機に直面したら、ウクライナの人々のように誰もが国を守る行動を起こすでしょう。

淡路大震災や東日本大震災例が発生した場合なども同じです。無謬神話をもとに共産党が日本の解放と民主的変革のために革命を開始したら、暴力や流血ざたが伴います。このような非常事態に対処できるよう、偏狭で浅はかな読み方はすべきではありません。

戦争を毛嫌いするより、もっと戦争と正面から取り組むことが重要です。先の大戦は日本の防衛戦争と時の連合軍総司令官も認めています。日本を加害者にすると利益があるのは、国民をだまし続けている国々の政治家と、日本のマスコミと左翼政治家だけです。

日本はどのようにして戦争へと追い詰められていったかを資料を基に総括すべきです。憲法9条を変える変えないはそのあとでもよいでしょう。

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 5) 道徳に文言を転用

教育勅語を読んでもどうして軍国主義というものに繋がるのかわかりません。昔は外国語にも翻訳されて世界各国からも「素晴らしい」と賞賛されたとも言われています。何か恐ろしい思想のように扱われるのは、自分たち以外を敵視しているからでしょう。

平成30年10月3日の朝日新聞は、内閣改造で2日に就任した柴山昌彦文部科学相が会見で教育勅語の認識を問われ、「現代風に解釈され、アレンジした形で、道徳などに使うことができる分野は十分にある」と述べた。これに対し野党から批判が出ている。

さらに過去の文科相が教育勅語を「(中身は)至極まっとう」と評価したことについて問われ、「現代風に解釈され、あるいはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野というのは十分にある。普遍性をもっている部分がみてとれる」と発言した。

野党などが過剰に反応していたのは単なる条件反射としか思えません。柴山昌彦文部科学相は使える部分として「同胞を大切にするとか、国際的な協調を重んじるとか、基本的な記載内容」を挙げました。

安倍内閣は平成29年に「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導」を不適切とした一方で、「憲法や教育基本法等に反しない形で教材として用いることまでは否定されることではない」という答弁書を閣議決定している。

道徳は小学校で平成30年から、中学校では来春から「特別の教科」に位置づけられて評価の対象となっています。学習指導要領では教える項目に「友情、信頼」や「国際理解、国際親善」などが盛り込まれました。

衆参両院で教育勅語の失効が確認され、1948年6月19日に廃止されました。その教育勅語の文言の一部を転記しただけで日本が軍国主義になると思えますか。批判しかできない野党の愚かさに苦笑を覚えます。

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 6) 議員は不勉強

教育勅語に反対する国会議員が教育勅語を理解しているとは考えずらいのです。間違っていたことを認めたら自分たちに対する信頼が失墜する、だから自分たちは間違っていない、絶対に間違っていないということにしておこうという無謬神話の踏襲としか思えません。

国会議員が教育勅語を理解していたら国会の議論は正常化していたでしょう。違法性を強く示唆する証拠が出て、それに基づき違法性の有無の調査や追及がなされ、その結果初めて責任が問われるというのが常道です。国会ではくどくどと議員の説明が続きます。

現在のように議員が説明を長引かせる理由は何でしょう。議員はNHKが放映している国会中継にできるだけ長く映り、全国に自分の存在を知らせたいという欲望があるからです。民放が流しているコマーシャルと異なり、無料で利用できる全国放送です。

何度も登場していると視聴者の脳裏に刷り込まれます。全国放送に映ることが目的ですから、刑事もののストーリーより組み立ては雑です。起承転結が不明瞭で、内容は乏しく追及している姿勢を演じているだけです。

ですから、できるだけるだけ時間を長引かせて長時間画面に映っていることが目的としか思えないのです。日本には言論の自由がありますから、自分の置かれた状況を自ら考えて、自由に教育勅語を解釈・理解すればいいのです。

そもそも、天皇のお言葉(政治的な位置付けは無い)ということですから、現在の陛下が震災があったときなどの国民へのメッセージと同様にそのまま受け止めれば良いのです。但し、国家議員は教育勅語の正確な意味を記憶してもらいたいものです。

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参考文献:歴史から消された日本人の美徳(黄文雄、青春出版社)、日本人はとても素敵だった(桜の花出版)など。